山を守る

山を守る

2010年の暮れに、ある団体から中島工務店本社に一通の要請書が届きました。
これには多くの提言が盛り込まれていて、正直何からお応えしたらよいか戸惑います。
 
それは、日本の林業が抱えている問題をはじめ、今世界のもっとも強い関心事である生物多様性などの地球環境問題、そして、我が国の森林文化や木の文化ともいえる建築文化ついて提起されているからです。
 
私からお応えするのではなく、一緒に考えなければならないことばかりです。
 
書き出しに1717年に消失した奈良興福寺の中金堂を2015年までに再建する計画があり、これにあてる木材(用材)は、外材ではなく国産材を使用すべきだと指摘されています。
 
中金堂は、奈良時代(710年)に創建され、これまで100回を超える焼失と再建を繰り返し、現在は仮の金堂となっています。
再建される中金堂の規模は、東西に約37m、南北23m、高さ21mといわれ東大寺大仏殿に次ぐ大規模なもので、修学旅行に行った時、友達と二人でも抱えられなかったあの太い柱のような木材が必要です。
 
資源的には、当時でさえ大量の木材の調達は容易ではなかったでしょうが、国内各地に天然のケヤキやヒノキの林がたくさんあり、国の文化財となっている他の建造物と同様に、世界的に優れたヒノキやケヤキが使われたのです。
 
残念ながら我が国の森林資源は、戦中戦後のもっとも木材が必要であった時期に伐採されたのを最後に大径木はほぼ使い尽くされ、その跡地にわたしたちの祖先や先輩たちが汗水を流して植林した人工林に変わりました。
 
古くから山の木を伐ったら必ず植えることが森林所有者の義務とされてきたので、私の祖父や父もそうしたように全国津々浦々までこれが守られた結果、現在ではこれまで経験したことがない大量の森林資源ができあがりました。
 
しかし、このスギやヒノキの人工林は、300年とか500年以上の年輪を持っていた当時の天然林に比べ、多いものでも50年、60年ですから、一般住宅用材料としての大きさになりましたが、中金堂の用材には太さや長さが不足します。
 
木曽ヒノキは、特に多くの大木が後々まで温存されていた木曽谷(長野県側)や裏木曽地域(岐阜県側)でさえ調達が難しく、また、ケヤキは国立公園など保存区域内を含め、国内にわずかに残された天然林をくまなく探しても大径材の必要量の確保は相当困難でしょう。
 
社寺建築といわれるこうした建造物の、巨木からなる柱を何本か建てることによって神仏を自然の脅威から防御したり、太い柱を建物の中心に据えて神の降臨を仰いだりすることなどは、奈良・飛鳥時代からの宗教観の底流をなすものとされています。
 
こうした建造物の復元には、一朝一夕ではなく長い年月を経て育つ自然林からの貴重な贈り物の太くて長い木材が必要です。
 
私たちは今後、こうした大径材をどのようにして調達すればよいのか、ご指摘のように外材だけに依存しないよう、国有林を管理する林野庁をはじめとして、国民を挙げて考えなければならないのです。
 
「古来、日本人は木を愛し、木の文化に育まれてきましたし、国土の7割を森林が占め、二酸化炭素の排出量計算に吸収源としてその森林を地用しています」
 
これは先に届いた要請書の一部で、多くの意味が込められています。
 
前述した興福寺の改修用材は、国産材ではなくアフリカ欅といわれるアフゼリア(afzelia africana:ジャケツイバラ科)やカナダ檜と呼ばれるイエローシーダ(C.nootkatensis Spach:ヒノキ科) などの外材に依存しなければなりません。
 
それでも私たちは、森林国を標榜し、木を愛し木の文化に育まれてきたなどといえるのか、という指摘です。
 
長年、森林・林業に携わってきた私は自責の念に駆られています。
 
私が付知営林署長時代に上司から世界に唯一つ400年の年輪を持つ裏木曽に残された「旧神宮備林」の伐採を命ぜられた時、頑なにこれを拒んだことや、深い谷底の森林からひときわ大きなケヤキの大木を国の収入確保のために伐採した記憶が懐かしく思い出されます。
 
そして今、私たちが何を失い何をつくり出してきたかを問い直すことこそ必要ではないか、そう思い続けています。
 
一方、戦後国民を挙げて植林した1000万haの人工林は、収穫時期となりました。
この森林資源をどのように利用し役立てるか。これは大きな楽しい課題です。
 
それなのに日本の森林の多くが、木材価格の低迷、林業不振を理由に間伐の手入れさえできない状況になっています。
 
私たちが本当に木を愛し木の文化を育んできたと自負するなら、今こそこれを実現する時期が到来したのです。
 
このスギやヒノキは、興福寺や東大寺の柱や梁の改修用材としては少し小振りですが、一般住宅の柱などの構造材はもちろんのこと、
床や壁、天井などの内装材としてはこれを超える素材はありません。
 
少ない資源国にあって一世紀を待たないでつくり上げてきた木材という自然素材こそ、人類にとって、あるいは地球環境にとってなくてはならないものです。
 
しかも地中を掘り起こす必要もなく、化学的処理の必要もありません。無垢材としてそのまま使用できる優れものです。
 
日本の森林は都会の真ん中はいざ知らず、自然豊かな日本の景観を構成する木造住宅、建造物の大半を国産材で賄えるまでになりました。
 
日本の森林が外国に買い取られるという噂に憂うのではなく、私たちはいま何をすべきかを考えることです。
 
「林業はどうなりますか」と問われるたびに、私は「これからが楽しみです」と答えます。
豊かに茂った日本の森林資源は、おそらく今世紀中に伐採が進むでしょう。
歴史が示すように、人類は必ず資源を利用します。
 
その時に備えてするべきこと、それは、ご指摘のように、地球環境に優しい森林を健全に維持すること。
効率を優先した大面積の皆伐(すべてを切り尽くす伐採方法)を止め、また、伐採跡地に、これまでのスギ、ヒノキ一辺倒ではない自然豊かな森林をつくることです。
 
木材を使う技術と新しい山づくりの技術、これを担う技術者の養成こそ、今必要なのです。
 
(中島工務店 総合研究所長 中川護)
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