神宮備林
神宮備林をご存知ですか。
岐阜県中津川市加子母にある国有林に、古くから伊勢神宮の遷宮(お社の建替)用材を備蓄している木曽ヒノキの天然林が約700haあります。
この森林についてお話します。
この森林は、戦前まで「出之小路神宮備林」(いでのこうじじんぐうびりん)と呼ばれ、20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮に必要な用材が永久になくならないように蓄えておくための備林制度(1904年)によって設けられました。
戦後、林政統一によってその制度は廃止されましたが、希少化が進んだ木曽ヒノキの最後の山として貴重になっています。
私は、これまで多くの方々をこの森林に案内し、次の三点について、この森林は貴重だと説明しています。
まず一点目は、日本特有の天然ヒノキ群落であることです。
日本のヒノキは、屋久島を南限に福島県までの間に天然に生息しています。
現在はそのほとんどが人工林になりましたが森林群落としての天然ヒノキ林は、標高1700m以下の亜高山帯下部から温帯および暖帯上部の間に成立している極相の群落の一種です。
秋田のスギ、青森のヒバとならんで日本の三大美林と称される木曽ヒノキ林はこの備林のようにヒノキが一斉に成立(純林)した理由について色々な意見がありました。
しかし、江戸時代のヒノキ大量伐採のあとに自然に森林が蘇ったこと(天然更新)と、尾張藩による手厚い保護(林政的管理)によるものであることが調査の結果、明らかになりました。
このように、木曽ヒノキの成因を要約すれば裏木曽と呼ばれるこの地方では数千年前からヒノキ科の樹木が優占しており気温や降水量などがヒノキの生育に適している(生態的特性に合致している)のです。
日本では、温帯地方にはブナが生育するはずなのにこの地方ではヒノキがブナに代わっています。
冬に積雪が少ないためブナの稚樹が寒風にさらされて生存できないなど、木曽・裏木曽と呼ばれるこの地方を中心とした特殊な立地条件に木曽ヒノキが分布しているのです。
冬に積雪が少ないためブナの稚樹が寒風にさらされて生存できないなど、木曽・裏木曽と呼ばれるこの地方を中心とした特殊な立地条件に木曽ヒノキが分布しているのです。
二点目は、木曽ヒノキが日本の代表的な古建築の用材となっていることです。
出之小路山と呼ばれ古くから良質のヒノキが生い茂っていたこの森林から伊勢神宮はもとより明治神宮、法隆寺金堂、多摩陵、姫路城、皇居など、日本の代表的な建造物の用材として木曽ヒノキが伐採・使用されており、日本の古い建築物の建造の歴史からも重要な森林なのです。
さらに三点目に、森林の取り扱いなど日本の林業の歴史的資料として貴重といえます。
明治の終わり頃、大径材の確保が困難になり、これを永久的に保続できるよう択伐施業(抜き伐りなどの森林の取り扱い)を継続し、回帰年(収穫が繰り返される期間)など、日本では未だ確立されていない天然林の技術を検証するとともに、その資料の保存という面から林業技術上かけがえのない森林なのです。
神宮備林には、400年を超える木曽ヒノキがそびえ中にはこの森林の母樹(趣旨を落とした親木)も残っています。
そのうち千年の年輪を持つもっとも大きな「二代目大ヒノキ」には神の存在さえ感じます。
なぜ二代目かといえば、話を藩政時代にさかのぼらなければなりません。
当時の木曽山は、木曽谷(長野県)と裏木曽三カ村(川上、付知、加子母:岐阜県)のことで、特に裏木曽には多くの大木が後々まで温存されていました。
天保9年の大火のあと江戸城の西丸の再建に、50万本の丸太がこの山から伐りだされ、直径2m(周囲6m)の巨木が含まれていました。
幕府から総奉行の川路三左衛門、尾張藩から勘定奉行の速水繁太郎ら多くの役人が派遣され、3年間にわたる伐採が始まりました。
ところが、伐採が始まると杣人たちを不安の底に突き落とすような不気味な事件が次々と起きたと伝えられています。
斧を入れた傷口から血が流れ出る木、怪しげな火の玉がフワフワする木、一日がかりで切った切り口が翌朝にはふさがっていたり、あるいは山鳴りとともに山火事が発生して役人や杣人の小屋も焼けてしまったというのです。
そこで川路らは、一本の大ヒノキを「神木」とし周辺の切り株に山の神、木の神、草の神を祀りました。
これが初代大ヒノキでしたが、残念ながら室戸台風の被害で折損しました。
また、三個の石を並べて祀ったのが護山神社の起源となっています。
二代目大ヒノキを見学するには、森林鉄道跡の平坦な歩道を歩かなければなりません。
ところで、皆さんを案内する際に少し困ることがあります。
神宮備林にはトイレ設備がありません。
多くの団体さんを案内する場合は、軽トラックに簡易トイレを乗せて移動しながら用に備えますが、少人数の場合はそれができません。
これまで、男性ばかりを案内していたので気にしませんでしたが、女性の場合は困ります。
ある時、天然ヒノキ林のトンネル(樹冠)をくぐり抜け植物の話をして大ヒノキを目指していた時、ひとりの女性の顔色が次第に蒼白になって、「あとどのくらいかかりますか」と小さな声で問われました。
慌てて「まだ少しかかります、向こうで」と後方の茂みを指さしました。
その後、スッキリした顔になった女性から「山には神はいらっしゃらないのですか」と聞かれました。
恐れ多くもここは神宮備林、男どもは何の憚りもなくそこらあたりで用を足していますが、「そんなところで用を足すなんて」との思いからでしょうか。
神はそこらあたりにおられるのか、大木の上に鎮座なさっておられるのか。
畏くも神々のおわします森林に半世紀を入り浸った自分の軌跡と驕れる人間どもが尊き木材を無造作にも利用してきた不義を後ろめたく思いながら、改めて二代目ヒノキを仰ぐとき、木枝をなでる風から神の存在を感じます。
(中島工務店 総合研究所長 中川護)
