ヒノキ林と雪について
2011年の冬の積雪は日本海側の秋田、新潟をはじめ、これまであまり降らなかった中国地方から九州にかけても多く降りましたが、私の住む岐阜県下呂市やヒノキの郷土である裏木曽地方では例年とあまり変わりませんでした。
雪が降るたびにヒノキと積雪について思います。ヒノキは、積雪が多い地域では漏脂病に罹って生育しないからです。
漏脂病は、樹幹から樹脂が異常に流れ出す病気で、ヒノキが積雪の重みで地面に倒伏する幼齢期のあと次第に成長が進んで幹が太くなり雪から抜け出すようになると、雪によって枝がもぎ取られて幹が傷つきます。
その傷口から樹脂が流出し、蝋を溶かしたように固まるのです。
そして、この傷から次第に形成層が侵され枯死してしまうのです。
名古屋営林局機関誌「みどり」に掲載された川瀬健一さんの「消えたヒノキ」の話(1965年)は積雪地帯でヒノキが育たないことを証明した記録として貴重です。
当時、拡大造林と称してブナの天然林が伐採され、その跡地にヒノキが植栽され、横谷国有林(飛騨市)では、大面積のヒノキ造林地が消えてしまいました。
またその頃、岐阜県寒冷地林業試験場(高山市)に勤務されていた竹之下純一郎先生は、岐阜県内のヒノキの生育限界を、船津(神岡町)・袈裟丸(古川町)・小鳥峠(清見町)とし、私たちはこれを「竹之下ライン」と呼びました。
一方、ヒノキの故郷である木曽・裏木曽地方一帯はこのラインからわずか数十キロほど東に位置しています。
消えたヒノキの造林地も、木曽・裏木曽地方も、日本の森林帯区分では「冷温帯落葉広葉樹林帯」で一般的にはブナが優占し「ブナ帯」とも呼ばれる区域ですが、日本海側に面する地域のブナに対して太平洋側ではヒノキに代わっています。
その理由の主なものは、生まれたばかりの稚樹は、冬期の積雪が布団の役目となり寒さの害から守られるが、太平洋側では、積雪が少ないため寒風にさらされて生存できないこと、春先の水分の欠乏が起こりやすいことが挙げられています。
ただ、ヒノキといえども小さなヒノキ苗が寒さや乾燥に特別強いわけではありません。
安易に人工植栽によってヒノキ林をつくろうとして失敗した事例は少なくありません。
この地域がヒノキにとって、生態的にはもっとも適していますが、生理的には必ずしも適した地域とはいえず、気候や土地的条件に加え、尾張藩などの手厚い保護もあって人為的な影響が加えられた極相林として、さまざまな要因を重ね合わせて考えることが求められています。
このように、ヒノキ(木曽ヒノキ)は世界的にも優れた森林で、木曽・裏木曽地方を中心とした地域の特殊な立地条件(地質、土壌、降水量と積雪など)に分布し、今日まで、長年にわたり貴重材として大量の需要に応え、我が国固有の木の文化の形成に大きく寄与してきたのです。
(中島工務店 総合研究所長 中川護)
