森林と家づくり(5)

森林と家づくり(5)

森林と家づくり(5)

下呂温泉街(岐阜県下呂市)から国道41号線を南に約5km進むと、益田川(飛騨川支流)左岸にはこの地域を代表するモミを主とする中間温帯林とヒノキの人工林が鬱蒼と繁っています。
 
このあたり一帯は国有林で面積は約450ha、筆者が20代に担当区主任(現在の森林官)として勤務したホームグラウンドです。
 
当時は、木材の価格が高く林業が盛んで明治の特別経営時代(帝室林野局が不要な国有林野を払い下げた資金で行った造林事業等)に植林された70~80年生のヒノキを毎年4ha程度ずつ伐採し販売しました。
 
その伐採跡の造林地に各種の試験地を設け、造林技術の研修とともに育林事業を行い「パイロット・フォレスト」と呼んでいました。
 
国道から林道を進んで標高520mまで登った位置にモダンな建築の事務所と研修施設があり、事業運営の拠点としていました。
 
“緑したたる森林の真ん中にドカンと机を置き、周囲に植えられたソメイヨシノの濃い緑で灼熱の太陽を遮断し、涼風を心地よく受けながら腕組みして目の前の林を眺め、パイロット・フォレストをどんな山にするのか。”
これは当時、名古屋営林局の機関紙「みどり」に筆者が寄稿した「パイロット・フォレストに描く夢」の一節です。
 
あれから40年が過ぎました。
この寄稿文はさらに、“1937年ドイツの森林院当局が国力回復のために行った施策中の「ワルニッケン研修所のはなし」や「河田杰先生と小根山試験林のはなし」が心に深く残っていて、そんな見たこともない情景を勝手にこの地に連想してしまいます。”と続きます。
 
この文では、書物などで学んだ世界の模範とされていたドイツの林学やその思想を、日本のこの森林で実現したいと思い描いていたので当時から何十年後の将来を見越し、この森林内で実施していた10数項目の実験課題について大きな夢を描いていました。
 
この各種試験地や成果は、今どのようになっているのか。
その後、40年が経過し国有林の経営は大きく転換されました。
 
当時のことを鮮明に記憶しているのは、事務所の正面の林は112林班で、110林班の天然林と隣り合わせの頂上の林内に、1枚の黒板と丸太でつくった椅子を置いただけの屋外教室をつくったことです。
 
そこに通じる遊歩道を何本か整備し、途中に可愛い小さな花をつけるチゴユリが多く自生していた尾根に「ちごゆり峠」と名付け、植生や土壌研修のコースによく利用しました。
 
日曜日には地元の小・中学生や父兄など外部の方々も森林教室にやってきました。
当時、森林教室は珍しく関係者はいつしか「中川教室」と呼んでいました。
 
国有林ではその後、森林とのふれあいの場として各地で森林教室が開かれていますが、その先駆けでした。
 
この森林について、是非書きたいことがあります。
それは「収穫の保続」(森林の植林・伐採を科学的に行い資源の永続的利用を可能にする保続の林業方式)についてです。
 
明治時代に植栽されたヒノキの森林は、木材価格が高騰していた当時、伐れば高く売れる時代でしたから林野庁では木材の価格安定のために緊急伐採を行いました。
 
「東濃ヒノキ」の銘柄化を民間の方々とともに取り組み始めていた頃で、この国有林はその宝庫でした。
ここにも増伐の指示が及んだことはいうまでもありません。
 
国定公園特別地域等を除いて木材生産ができる200haの森林を年に4haずつ伐採し50年で伐採が一巡する、いわゆる面積平分法に基づくことにしていました。
 
あこがれの「法正林」思想(法正林とは、毎年の成長量に見合う分の立木を伐採、植林することで、持続な森林経営を実現させる森林のこと。)に少しでも近づけたいという思いは、想像するだけで身震いするほど筆者の若い頃の夢の夢でしたから、この基本を崩さないために指示に対して難色を持ったことは忘れられません。
 
そして今でも持続可能な森林づくりなど、同じ夢を追い続けているのです。
収穫調査の記憶もよく覚えています。106林班は全体が高品質のヒノキで、沢に沿ってわずかに38mという最も高い樹高のスギがそびえ立っていました。その林は立木のまま販売する「立木販売」でした。
 
4haの立木価格が何と2億2千万円(1㎥当たり10万円)で落札され、特に素性のよいものは6~10mの長材に採材し、開発が進んでいた滋賀県大津、長浜、栗東方面へ高級な木造住宅の資材として搬送されました。
 
この時こそ森林、木材そして消費地が直結していると感じたことはありませんでした。
 
さて、高価で販売された106林班の伐採跡地は、木材の搬出期間が終わるとすぐに植栽を行いました。
植栽に当たって、どんな樹種を植えるかを決めるのに「地位指数調査」を採用しました。
造林の場合は「適地適木」が特に重要となるのです。
 
この方法は、当時では最も科学的な植栽樹種の適地判定手法でした。次回、詳しく書きましょう。
 
そして40年が経過し、新しい森林が再び106林班にできあがったのです。
近々、入林許可を受けてこの森林に入ります。その山がどんな成長を遂げているのか。
親が子供に会いに行くかのような気持ちでとても楽しみです。
 
(中島工務店 総合研究所長 中川護)
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