中部
氏神様
自分が住んでいる地区に
「宮谷神明宮」というお宮があります。
地区のお宮の仕事として、
13年毎に回ってくる「宮当番」という
大事な役があります。
宮当番の仕事は、
お宮の祭事のお手伝いや
神殿・社務所の掃除などがあります。
夏には祭事に使う笠や旗、
社務所にある座布団などの
虫干し作業もあります。
「宮谷神明宮」というお宮があります。
地区のお宮の仕事として、
13年毎に回ってくる「宮当番」という
大事な役があります。
宮当番の仕事は、
お宮の祭事のお手伝いや
神殿・社務所の掃除などがあります。
夏には祭事に使う笠や旗、
社務所にある座布団などの
虫干し作業もあります。
カラフルだったので
虫干し状況の写真撮りました!
宮谷神明宮をご紹介します。
「創建年代不祥。
社頭の「夫婦杉」は五六百年以上と推定され
当社の由緒を物語っている。
また、源平時代、悪源太義平にまつわる
幾多の地名・伝説等がある。
戦国時代の天文五年(1536)、
益田川の洪水により流失した字白山の白山宮、
字丸島の八幡宮を合祀して「三社宮」と称した。
寛永二年、都筑九郎四郎英昌が
国主金森氏に請願して、
木材の下付を得て社殿を再建した。
更に寛文七年に再営し、
同年三月十・十一日、神通堂御旅所を造営して
この日を例祭日と定めた。
江戸時代国主・代官・郡代等の崇敬厚く、
再建・再営等しばしば行われた。
天明二年造営奉行寄進の木造狛犬が現存している。
元禄検地に社地六反六畝二十歩の境内除地を受け、
嘉永元年には神輿二基を再調した。
明治維新村社に列し、
明治四十年に区内九社を合併合祀した。
昭和十五年、現本殿・幣殿を新築して、
飛騨の大祭を執行し、村内各神社を配祀して
「川西総社」と称した。
戦後、直ちに神社本庁に率先所属し、
神社庁益田郡支部の創始となった。
同二十三年、「夫婦杉」が
岐阜県指定天然記念物に、
また神社庁より「金幣社」の指定を受ける。
同二十七年には、「宮谷神明宮」と改称した。」
(HPより)
明治四十年に区内九社を合併合祀した。
昭和十五年、現本殿・幣殿を新築して、
飛騨の大祭を執行し、村内各神社を配祀して
「川西総社」と称した。
戦後、直ちに神社本庁に率先所属し、
神社庁益田郡支部の創始となった。
同二十三年、「夫婦杉」が
岐阜県指定天然記念物に、
また神社庁より「金幣社」の指定を受ける。
同二十七年には、「宮谷神明宮」と改称した。」
(HPより)
お宮の近くには「桜」の名所もあり、
毎年たくさんの方が見に来ます。
中部住宅部 田口忠広