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ひとり旅



高校卒業後、
8年間勤めた会社をやめる時に
同僚(早稲田大学卒、英語堪能、海外旅行歴多数)からの
気分転換に海外旅行にでも行ってきたら
の一言を真に受けて
海外旅行も初めて、英語も出来ないのに
アメリカに1ヵ月間
バックパッカーの旅に行ってきた。

幼馴染がアメリカに留学していたので
会いに行くのも兼ねて
アメリカに決めただけだったような気がする。

地球の歩き方(当時は通称ブルーブック)を購入し、
パスポートを申請し
往復の航空券、周遊券、
最初に宿泊するホテルを
旅行会社に手配してもらうが
現地では次のホテル、移動は
すべて自分で手配しなければならい。

日にちが近づいてくると
キャンセルしようかな、
無事に帰ってこられるかなとか、
とにかく不安だけが
込み上げてきたのを覚えている。

成田空港からの出国だったが
ものすごい雨で
夕方4時の離陸が2時間以上遅れた。

このまま中止にならないかな、
なんて内心思ったりもした。

離陸して数十秒すさまじい閃光と音、
同時に機内に焦げ臭さが、
あちこちで悲鳴、
一瞬何が起こったのかわからなかった。

えっ、
アメリカの地に足を踏み入れることなく、
正直覚悟した。

すると機長より、
当機右翼に落雷がありましたが
異常ありませんので
予定通りサンフランシスコ国際空港まで
このまま飛行を続けます
とのアナウンスが・・・

ケビンコスナーとホイットニーヒューストンが
共演した映画ボディーガードを
何回も観て気を紛らわした。

着陸までの約9時間
ほぼ寝ることはできなかった。

この旅では不思議なめぐり合わせが
あったような気がする。

成田からの座席は最後尾、
2人組のご婦人の一人が自分の隣で
あとの一人は前の座席で別々になった。

その隣の女性が見かねて
変わりましょうかと自分の隣に来た。

落雷の事もあり
彼女から話しかけてくれ、
色々アドバイスをもらい
非常に心強かった。
 
その後親族の方と共に
サンフランシスコを1日案内してくれた。

また、空港から
ダウンタウンに行くバスを探していたら
一人の男性が声を掛けてくれ
行き先が同じだったので
行動を共にすることになった。

彼は名古屋の某旅行会社に勤め
時間があると世界各国を旅しているとの事。

その人たちのおかげで
観光、買い物、食事、道の尋ね方などを
教えてもらい
この先のラスベガス、ロサンゼルス、
カナダのナイアガラフォールズと
とても楽しい旅となった。

ラスベガス滞在中
グランドキャニオン観光の
バスツアーに参加した。

すべて外人、英語、ガイドが
何を言っているのかさっぱりだった。
言葉の壁を痛感したがそれなりに楽しめた。

日本に戻ったら英会話教室に通い
またひとり旅をと思ったのは
その時だけだった。

そして最後の地となる
幼馴染がいるワイオミング州のキャスパーへ
家族の人にいつ頃行くからと連絡をお願いし
電話番号だけ教えてもらっていた。

空港につき早速電話する。
出なかったらどうしようと思いつつも
すぐに繋がる。

2時間ほどかかるとの事、
久しぶりに会うのでとても楽しみだ。

彼の大学の寮に3日間お世話になり
旅行にも連れて行ってくれ、
日本では考えられないが
大学の授業にも出させてもらった。

最後の夜に偶然にも飲み会があり
是非ということで、
片言の英語でおおいに盛り上がった。

不安ばかりの1ヵ月間だったが
無事に帰ってくることが出来た。

空港に迎えに来てくれた
両親の安堵した顔が今でも忘れられない。

旅行中毎日日記をつけていたが
30数年たった今でも
一度も読み返したことはない。

その時の心境はどうだったか気になるが
写真と共に大切に保管してある。

もうひとり旅に行く勇気はないが
今までの人生で一番となる経験だ。

いつかカナダとアラスカに
オーロラを見に行けたらと
そんな夢を抱いている。



可児支店 前田安一郎