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これも設計のはなし



遺跡として残る建物に魅かれます。
人の営みがなくなって久しく、
自然に帰っていくその途中にある建物に
何とも言えない哀愁のような郷愁のような
寂しさとなつかしさが入り混じるような
不思議な感覚を覚えます。

ヨーロッパを貧乏旅行した時に
ギリシャ、ローマの遺跡を各地で見て、
その規模に圧倒されるとともに、
日本にはない石造りの建物が残す佇まいに
不思議となつかしいような思いにも
かられました。

この奇妙な廃墟賛美の感覚は
他国の世代の違う人々にもあるようです。

18世紀にイギリスで流行する
お金持ちの子息の国外旅行(グランドツアー)、
ローマ遺跡に感化されて
人工的にわざわざ作った廃墟(フォーリー)を
庭に置くことが流行ります。

廃墟を得意とする建築家も現れます。
サンダーソン・ミラーという建築家の作品は
今でも残っているそうです。

イタリアの画家
ジョバンニ・バティスタ・ピラネージが
ローマ遺跡を題材にした半分空想の奇想画は
エッチングという版画で枚数を刷れたため、
グランドツアーの土産物として重宝されて、
実際に見ていない人たちも巻き込んで
流行りが広まったそうです。

私はこのピラネージの絵にとても魅かれて、
ネットから画像を集めていたことがあります。

廃墟の絵ではなく牢獄という
迷路的な空想の絵の一連のシリーズなのですが、
どうして魅かれるのかわからず、
絵の背景を紐解くと
どうやら自分の遺跡好きから来ているようだ
ということが分かりました。
石造りだけでなく、木造の建物も
朽ちていく美しさがあります。
長い年月をかけて
建物が森にのみ込まれる様は
ある種の神々しさを感じます。
 
ここで、はたと考え込んでしまいます。
現代の建築物のように
新建材を使っている建物は
美しく朽ちていくことができるかと。

分解されにくい石油化学製品や精製製品は
長い間自然に帰ることなく、
海岸に打ち上げられたゴミのように
いつまでも残っていくのかもしれません。
 
きっと現代の建物は
朽ちていくのではなく
人工的に壊して、
つくり替えられていくのでしょう。

現代では土地も建物も
所有区分がはっきりしているので、
所有があいまいになる戦争や災害など
天変地異が起きない限りは
建物は朽ちるという選択を
許されていないのかもしれません。

長い年月で見ると常に戦争は起きていて、
天変地異も起きることが
当たりまえかもしれませんが。
 
美しく朽ちるような
建物を作りたいなどと妄想し、
それは目的ではなく
結果なのだと思いなおしました。
 



名古屋支店 香田雅紀