木を植えること 3 (植樹祭)

全国植樹祭をご存知ですか。日本で進められてきた国を挙げての植林緑化運動の象徴ともいえる行事で、戦中戦後の過度の森林伐採によって荒廃した日本の国土の復興をめざして、昭和25年に山梨県で開催されて以来、毎年全国各地で開催されています。1957年4月、岐阜県谷汲で開催された第8回全国植樹祭に、当時中学3年生の私は、岐阜県の学生代表として参加し、他校の2人とともに国旗掲揚を行ったほか、行幸啓された天皇・皇后両陛下の御前で「学校植林」活動について表彰を受けました。その頃学校では、春の植栽の時期になると、♪ 私の庭に学校に、木を植えましょう松の苗、初めの一本お父さん、並んで一本お母さん、あとの三本子どもたち♪と、植樹祭の歌の校内放送が流れました。いま、お隣の中国では、森林資源の枯渇と環境の悪化に危機感を持ち、「国民の植林の義務化」をはじめ、国家的プロジェクトによる大規模な造林事業が進められています。それは、当時の日本の国土緑化運動に似ています。日本では植林の義務化こそありませんでしたが、全国で植林が行われました。2001年から毎年、緑化事業が進む中国の砂漠化地帯で緑化の技術指導に当たっていますが、当時の日本の山村の植林光景を思い出します。林野庁に入ってからは、営林局又は営林署で主として植林事業を担当し、その勤務する先々で春になると植樹祭を実施しました。印象に残っているのは、1994年に付知営林署(現東濃森林管理署:岐阜県中津川市)で開催した植樹祭です。植樹会場といえば当然「山」の中で行っていましたが「川」で開催して話題となり注目されました。ヒノキの郷土と呼ばれる付知署管内には、400年の年輪を持つ木曽ヒノキ林があり、古くから木の文化を育んできました。その後、人工林時代になって東濃ヒノキが主役となり、優れた建築用材を全国に流通し、高価に取引された時代でした。植樹祭には、林業関係者はもとより、地元の小学校の児童、商工会、青年団など地元住民の皆さんに参加していただきました。植栽樹種は、皆さんが自ら育てたツツジ苗などを持ち寄っていただいたり、地元に自生するヒトツバタゴ等を植えました。会場は、付知川の美しい景観を誇る「ローマン渓谷」と呼ぶ水辺に近い個所でしたから、自然環境の専門家の指導も受け、地域ぐるみのプロジェクトになりました。このほか、転勤のたびにそれぞれの地域で開催した植樹祭は様々で、地元の情報が集まる町の床屋さんや美容院の方々、また、「みどりさん」という名前の方々ばかりのご招待など、身近な存在でも日ごろは森林や林業には馴染みが少ない地域住民の皆さまをお招きし、普段の生活の中に木を植えることが広がることを目指しました。「木(樹)を植えること、」これは単に木材などの資源利用が目的ばかりではなく、そこに生活する私たちが自然との一体感を取り戻す、これが主な目的でした。ヒノキやスギ林を広葉樹に転換するという短絡なことでなく、私たちすべての人々が心から自然に愛着をもつことへの自覚のために、「木を植えましょう」と呼びかけたいのです。