付知川流域まるごと博物館(2)(流域全体をエコミュージアムに)

「ヒノキ一本首一つ」で知られる江戸時代尾張藩の伐採規制は、裏木曽と呼ばれるこの地方の森林・林業の歴史の象徴といえます。かつて江戸の大火(1657年)名古屋の大火(1660年)の復興用材が大量に伐採搬出され、これが今日のヒノキ林の成因となったほか、江戸城、姫路城、法隆寺、延暦寺、東大寺等の建設にこの地から膨大な量のヒノキが供給されました。中世の木材搬出の記録として、伊勢神宮遷宮用材出材史料のほか、「木曽式伐木運材絵図」(長野営林局互助会)や「付知川流送図」(東濃森林管理署)に見られるように、付知川が木材流送のドラマの舞台となったことも見逃せません。また、この地域住民の生活の歴史は、自然の恵みと厳しい試練とを合い入れながら長い間守り育ててきた伝統、生産の知恵、祭りや地歌舞伎など受け継がれてきた芸能も多く残っています。急速な世の中の進展によってこれらが忘れ去られようとしていますが、まだまだこの地方の振興(復興・復元)の可能性を持っています。 付知川流域は、延長30数㎞、その流域面積は約200km2程度で、史跡・名勝・天然記念物が79件のほか、重要文化財・民族資料133件が指定され、地域全体に散りばめたように存在しています。この地域をまるごと博物館にしたら、他に類を見ない素晴らしいエコミュージアム、「生活・環境博物館」又は「時間・空間の博物館」となるのです。変化に富んだ豊かなこの地域は、個々にこれを捉えれば、急傾斜で複雑な地形となり、所有形態も零細で分散しているなど必ずしも好条件とは言えません。しかし、構想を発表した当時に比べて、行政単位も町村合併統合されて付知川流域全域が一つになり、土地利用計画はじめ地域のグランドデザインが描きやすくなり、自然を大切にした村づくりがし易くなりました。豊かな生活空間の在り方を基本に、例えば「花街道」(国道257号線)の道路景観をどうするか、旧道に向き合って立ち並ぶ家並みなどの建築景観をどうするかなど、自然と調和した魅力ある人文景観の形成を考えることが楽しくなると思います。私は、まちづくりのコンセプトは、自然と人間が共生する生活空間を蘇らせ、自然資源や地域環境の保全、つまり地域景観の保全と地域文化の継承を第一にすべきだと考えてきました。付知川流域一帯には、上流部の国有林では、人を寄せ付けない峡谷、400年以上の樹齢の木曽ヒノキの森林、森林浴が満喫できる自然歩道もあり、これを下れば民有地に入って、清流で楽しめるいくつかのキャンプ場、ヒューマンスペースが確保された旧街道、緑の空間に散らばる農家の家屋、木工工房、地芝居(歌舞伎)が演じられる農村舞台等と、どれをとっても格好のサテライトで、そこに生きる人々とその生活こそ、飾られた素敵な絵になるのだと思います。(つづく)
(中島工務店 総合研究所長 中川 護 )