森林と哲学 2  択伐と間伐

先日、中津川市加子母で操業が開始されて間もない「森の合板工場」を見学しました。この工場で製造される合板の原料に用いられている木材は、スギ、ヒノキ、カラマツの間伐材です。広いストックヤードには県内各地から搬入された間伐材が山積みされていました。「こんなに太くても間伐材ですか」という見学者の会話が耳に入ってきました。そうなのです。太さが30㎝もありそうなスギ材が含まれていたからです。ところで、「間伐材で住宅を」といった話が浮上することがありますが、それは少し変です。私はこれらの一連の話が気になります。そもそも間伐とは何でしょう。もう一度原点に返って考える必要があります。森林を育てる場合には当然「生産目標」があります。その目標に達するまでに行われる保育のための伐採が間伐で、伐り出された木材は経級も細い材です。かつてこれらの間伐材は、あらゆる分野で利用され、最も細いものはテント棒にまで利用されました。そうした利用がなくなった現在では、森林内に放置されているのが目立ちます。このところ資源利用が見直され、遅まきながらバイオマスや集成材、合板等の利用が進んでいます。一方、森林が成長して柱材などの建築用材として生産目標に達すると「主伐」です。間伐材が主伐と同様に建築用材として利用できるなら、それは既に収穫期となっており、間伐ではなく主伐とするのが正しいでしょう。ある林業団体が作成した機関紙に「搬出間伐」というのがありました。林業用語にあったかと首をかしげました。また、「収入間伐」という表現がありますが、間伐材を販売して収入が得られた場合の表現です。これが都合の良い林業技術となっているのではないかと気になります。長期にわたり材価が低迷している中で、細い経級の間伐材が「価値がない」として切り捨てられ、建築用材となる主林木(収穫期まで残される木)まで間伐として伐採される状況があるのです。搬出間伐も、収入を目的とした便宜上の伐採手段になりはしないか。折角これまで造り上げてきた日本の1千万haの人工林が、収穫期には無残な形になるでしょう。路網整備等によって間伐等の作業を集約化し、資源として利用を高めようとする主旨から生まれた新語が、誤解を招くことになりはしないか。発信元と思われる「効率的かつ計画的な間伐の推進」図解・林野庁)が、その責めを負うことになるのでしょうか。そこで私の「択伐への誘導」の提案です。択伐は、森林から林木を収穫する場合、皆伐のように一度に伐採して収穫するのではなく、ほぼ毎年の成長量に相当する量を数年ごとにまとめて収穫する方法で、ヨーロッパにおいて20世紀初頭に多くのすぐれた理論と技術が生まれました。これは植林した日本の一斉人工林と異なり、主に天然林で研究が進みました。我が国においても、昭和初期に優れた択伐理論が発表されています。人工林は林木の成長に伴って密度が高まり、間伐によって適正な密度に調整します。この間伐も林齢が高くなってくると個体(立木)が大きくなります。収穫期を目前にして間伐の延長として伐採するのではなく、択伐作業法への誘導です。森林は、単に木材生産のみを目的に育成されるものではありません。まして森林のあらゆる部分が、恒続的に、しかも最高の生産能力を発揮する状態に導かれてこそ健全な森林と言えるのです。林業には、「択伐」という施業技術があり、人間が利用したい木材を、森林にとっても最も有効となるように収穫する方法がそれです。間伐と大きく異なるのは、抜き伐りすることによって次の森林を準備する「更新」作業が伴っていることです。間伐は保育の手段ですから、次の森林の用意はしませんが、択伐は、予備伐、下種伐、受光伐といって、次の森林が用意される更新作業を同時に併せて行うのです。岐阜県の今須地方では、古くから人工林の択伐が行われてきました。建築用材を1本伐採したらその跡に数本の苗木を植えるのです。また、林野庁に在職中、昭和48年(1973)に小川長洞国有林(岐阜県下呂市)で、明治20年代に植林されたヒノキ人工林を択伐し、林内に「樹下植栽」して次の森林づくりを試みました。当時は例がなかったのでこれを否定する声も多くありましたが、その後、樹下(下層)の造林木が成長し「複層林」ができました。このように、一斉人工林の場合であっても、長伐期になればなるほど森林内の立木の一部の伐採を「間伐」とするのではなく、択伐技術で高齢級の森林から生産される木材の正しい評価になると思うのです。中島工務店の建築に用いられる木材は、特に構造材では柱材等を生産を目標にして丹精込めて育てられた「東濃ヒノキ」が採用されています。50年以上の年輪を持った完成品のヒノキを大切にそして丁寧に使っています。

択伐と間伐