森林と哲学 1  間伐の本質を思い起こすために

「基礎・臨床環境学的視点から考える森林の持続可能性」というシンポジウムが開かれました。それは、空しくなるまでに疲弊した森林・林業の話しではなく、忘れかけた森林管理の理念を思い起こすものでした。臨床環境学とは、地域の具体的な環境問題を対象とした診断・治療のあり方、これを支える共通の基盤となる基礎環境学を体系化する学問で、そのキーワードとしての森林、そして人間社会の関係の模索などです。とても大切なことですから、再び森林について多くのお話しをしたいと思います。私は、長く森林や林業に関わってきましたが、森林管理には哲学を持たなければならないと思います。林業技術とは、森林に関わる人の人格・人間性に委ねるところが多いことから、「森林に対する人格の表現」だと思い続けてきました。しかし、日本が戦後の復興から高度経済成長期に入るころから、森林を管理することや木材を利用することについての思想や倫理観が欠落してしまいました。その時期はちょうどエネルギー革命と言われる頃と一致し、ものの見方や考え方が経済性と効率化を追い求めることこそ正しいのだとする社会に変わってしまいました。そこには、国民が大切にしてきた思想や倫理観はなく、目先の利益追求が重視されるようになりました。森林・林業においても同様で、間伐を例に考えてみてもその目的や方法が大きく変わりました。森林づくりに全てをかけてきた丹羽忠幸さん(岐阜県下呂市御厩野2086)は、「売れる木だけが伐られた森林は見るに堪えない。」と、このところ実行された間伐後の森林が無残な状態になっている採算重視の森林管理に強い憤りを感じています。間伐を促進するため補助金の範囲が拡大され、高齢級(60年生)の森林も間伐すれば補助金が支給されるようになったのも起因しています。さて、間伐の歴史は、16世紀頃からドイツ各地で行われていましたが、当時は不良木のみを伐る「下層間伐」といわれるものでした。その後19世紀半ばになると、樹冠を基礎にした幹級(枝張りなど樹木の姿かたち)を区分する万国林業試験場連合会による間伐型式が主流となりました。20世紀になるとそれまで上層林冠を疎開しない方法から上層間伐も注目されるようになり、初めて間伐の量と質とに区分する間伐方式が打ち出されるようになりました。日本においては、古い林業地に特殊な用材を目的とした間伐が発達し、主として樹型級区分を中心とした「定性間伐」が行われてきましたが、間伐量・主伐量を基準とした「定量間伐」が取り入れられるようになりました。一般的に採用されたのが寺崎博士によって1級から5級までに樹型級を区分する「寺崎式」間伐法でした。その後、これは選木が主観的となり複雑で客観性に乏しいなどの理由から、多くの研究を経て、最多密度曲線に沿って減少させる収量密度効果線を求める「収量比数」(RY)によって密度を管理する方法へと研究が進みました。一方、近年では木材価格が低迷し、国や県からの助成金を含めても人件費が木材の販売価格を上回ることから、間伐の実施が困難となり保育手おくれが問題となっているのです。結果的に本来の間伐技術を度外視した間伐が目立つのです。これこそ丹羽氏の指摘するところです。そうした中にあっても、これまで営々と受け継がれてきた森林を大切に守っている森林所有者が大半を占めています。間伐とは、適正に管理された美しく豊かな森林から、収穫期には目的の木材が大量に生産できるための保育作業です。それは私たちの子育てと同じです。しかも、その森林は、今は大学3年生でもうすぐ卒業して社会に役立つ林齢です。私は、一般にはあまり知られていないドイツの林学者アルフレート・メーラーの林学専門書「恒続林」(1922)を今でも大切にしています。「永遠に存続する有機体としての森林」を恒続林と名付け、森林づくりのあり方について書かれており、価値の追求は有機体としての森林を美しく保つことこそ基本であり、森林を持続的に管理するための哲学がない森林管理を厳しく戒めています。もう一度私たちは森林づくりの哲学を思い起こさなければなりません。