☆中島工務店メールマガジン12月号☆ vol.54 2014年12月9日配信☆

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  • 1 中島工務店からのお知らせ
  • 2 季節の扉  〜代表取締役 中島 紀于〜
  • 3 森の不思議 〜中島工務店 総合研究所 中川護〜
  • 4 住宅豆知識

*⌒*⌒【 中島工務店からのお知らせ 】 ⌒*⌒*

●2 季節の扉

いよいよ師走。早速しみったれ脅しが来ました。−5℃積雪10cm。スノータイヤに替えました。大晦日までにもう一仕事します。
それにしても年末の選挙とはどうした事でしょうか。この忙しいのに国は一体何を考えているのでしょうか。何のために選挙をするのでしょうか。選挙で勝てば全て認められたと言うのでしょうか。政治家は国民を馬鹿にしているとしか思えません。日本株式会社の経営者が政治家であり、社員が公務員なのだからもっともっと真剣にやって貰いたい。経営者がこれでは社員も使えない。
世界の小国日本がこれから生き抜いてゆくためにはどうしなければならないか。終戦直後に戻ってやり直さねばならないと思う。
国民一人ひとりが食う物も無い、着る物も無い、住む家も無い、仕事も無い、そんな頃に戻って性根を入れ直さねばならないと思う。
そんな状況に追い込まれていると思う。そうならないようにしなければと思う。

 

中島 紀于代表取締役 中島 紀于
ブログ書いてます>>> http://norio.kinoie.in/



●3 森の不思議

社寺部について  (陰の立役者・中島千秋部長の場合)

株式会社中島工務店が堂宇建築を始めた頃の記録を遡ってみました。それは昭和63年(1988年)、安弘見神社(岐阜県中津川市蛭川)の拝殿及び本殿屋根工事が最初で、当時の設計部長であった丹羽和佐(かつすけ)さんの手書きの設計図面と完成写真が、これまで会社が手がけてきた多くの建築アルバムとともに保管されていました。
安弘見神社の拝殿の竣工写真は、白木のままの本堂を正面から撮影されており、金箔を張り巡らせたのかと、一瞬目を凝らすほどの輝きを放っています。理由は、新しいヒノキの美しい光沢が金色に輝くのです。続いて平成2年に岩村城太鼓櫓復元、同太鼓櫓白壁仕上げ、茶堂復元工事(岐阜県岩村町)、平成4年には日本文化伝承の館、能舞台、(埼玉県越谷市)を手掛けました。
その後、平成6年(1994年)以降は、毎年本格的な社寺・仏閣建築を手がけるようになりました。
会社が、「お寺をつくるに至るまで」。そこには何人かの並々ならぬ努力があったことは言うまでもありません。今回は、陰の立て役者とでもいえる中島千秋本社社寺営業部長を取材しました。
彼は、岐阜工業高等専門学校を昭和47年に卒業し、石川島播磨重工製鋼プラント事業部に就職しました。当時の日本における製鉄業界の技術は世界のトップ水準にあって、日本の鉄鋼生産量はアメリカ、ソ連に次いで世界第3位で、輸出額も53億ドルを超え西ドイツの50億ドルをしのいで世界最大でした。鉄鋼が日本の近代化の代表選手となった時代でした。
その中で彼の会社は、製鉄(製鋼)プラントの技術を海外に輸出し、主としてブラジル、韓国、台湾そして中国へと進出するようになり、彼も入社してまもなく、その現場担当としてブラジル、韓国へ出かけて鉄鋼プラントづくりに当たりました。
本人曰く、彼は元より破天荒なところがあって、外国を舞台に世界のミッションに挑む仕事こそ、天が与えてくれたと自身を奮い立たせるのでした。
しかし、入社して10年経過したころ父が体調を壊し、古くから続く家系維持について親戚などから帰郷を勧められ、会社では、プロジェクト・マネージャーを目指していた時期で、世界への夢も次第に弱まるのでした。
結局、「今なら抜けられる。」早く見切りをつけなければ中堅社員になっては会社を抜け出すことが困難になるということで、ふるさとに帰ることになりました。
これまでの仕事に心を残して帰郷した彼は、父が勤務する現在の中島工務店から声がかかり、昭和55年10月に迷うことなく第2の職場に就職しました。仕事は土木の現場監督でした。
その後、会社では建築事業の新分野が開始され、いきなり茨城県の建売住宅現場に動員がかかりました。それは、昭和59年の秋、会社が本格的に住宅づくりを開始しその最初の仕事でした。
これが契機となり、会社は東京江東区潮見にモデルハウスを建て東京支店を開設し、彼は初代支店長として関東地域の産直住宅の拠点を担当することとなりました。
展示場は、林野庁が所有する貯木場の敷地内で、充実しつつある日本の森林資源を有効活用しようとする国の施策と、地域の木材による産直住宅事業を推進する岐阜県において、東濃ヒノキ林業圏を背負った中島工務店ら建築協同組合とのマッチングでした。
都市部へ向かう道路の渋滞をくぐり抜けて、東濃ヒノキによる本物の建築を望む顧客の現場まで、木材は元より大工、左官、電気屋などの職人が、加子母村の本社から夜通し走り続けて働く姿は、かつて平城京や平安京づくりに奔走した飛騨の匠たちを再現するがごとしでした。
その後、阪神淡路大震災が発生し、会社がいち早く支援に駆けつけたことが縁となり神戸に支店を置くこととなりました。
この時、東京支店長を退任していた彼は、開拓者の看板を背負って神戸支店長を命ぜられ、活躍の場を阪神地区に移すことになりました。そして神戸支店が社の建築分野でも大きなウエイトを占めるようになりました。
神戸で約5年を過ごし、久しぶりに本社に戻った彼は、建築本部長、営業部長を経た後、本社社寺部の営業部長として現在に至っています。
ところで「建築進化論」(1909年:伊東忠太)は、日本建築の発展を様式及び意匠について「進化」と説明しました。これは、ダーウインやスペンサーの影響とは異なり、日本美術論や建築の進化という立場から作品に影響を及ぼすこととなりました。中でも、建築進化の原則は、材料と意匠から成り、この2者が相助けて進化し、建築意匠を司る最大勢力は宗教であるとしています。
また、材料においては、第1期の原始時代から第2期の木材時代、第3期は木石混合、以下石材、鉄材の時代に分類しています。その中で日本建築を、木材から起こって(始まって)今日まで、石材に進化しないままでいるのは世界唯一の例だとしています。
中島工務店では、会社が所在する地域で産出されるヒノキを背景にして建築部門が誕生したことは先月も触れてきました。つまり、進化が激しい大手住宅メーカーなど非木造建築に比べて、5世紀から1400年以上も経過した今日に至っても、明治の終わり頃に発表されたこの論文が示すように、中島工務店の建築の歩みは木材から次の材料に移ることがないまま歩んできています。
そのことは、大いに誇りとすることであって、岐阜県東濃地域は、古くは木曽ヒノキを、現代においては東濃ヒノキを中心に木の文化を形成してきており、その中心地に本社があって、優れた木材を使って建築生産を行っています。
日本の建築が、5世紀ごろ大陸からの仏教建築の断続的な影響を受けつつ国内で建築技術が形成され、重厚な瓦葺きの屋根を持つ寺院建築が完成し現在まで発展してきています。これを代表する社寺・仏閣建築は、今日に至っても木材を材料として伝統的な技術によって営々と続いており、このことは、我が国はもとより世界においても類を見ない優れたものといえるのです。
歴史好きの中島千秋部長は、宗派が異なることによって社寺・仏閣も異なり、それぞれ長い歴史を持っていることなどを学び、寺院の建て替え、意匠、建築スタイルまでも相談を受けて飛び回っています。
今では、重要文化財の保存修理事業までも受注し、優れたヒノキやケヤキなどの国産材を使って木造建築づくりを推進し、神社・仏閣のデザインに革新性を提案しています。そのエネルギーや熱意は、かつて石川島播磨重工で培ってきた仕事に対する姿勢の、「常に前を向いて、後悔しない」を継続して、会社の事業エリアを拡大してきています。
彼が言う破天荒ゆえ、時には思いもよらない発想が万人に認められず落ち込むこともありましたが、『学生に与ふる書』(岩波新書 1939)に記されていた「若気の至り」、それは人生を振り返ったとき、「こんなことをやってきた」と頬にほてりを覚えながらも誇りを持って話せること……そのことに通じるものと、若い頃に読んだ本の一節を思い出しました。

中川 護(中島工務店 総合研究所長 中川 護 )



●4 住宅豆知識

Every Step of the Way

昨年日本の木造建築を取材すべく加子母にいらっしゃったオーストラリア人のジョンさんから、取材の記事が掲載された林産業の専門雑誌「Australian Wood Review」が送られてきました。
加子母の林業、製材業、木材加工、建築と、地域ぐるみで取り組む産直住宅の話が、素晴らしい文章と素晴らしい写真で紹介されています。私達の単なる日常ではありますが、それを海外の雑誌で読むのは不思議な"くすぐったさ"があります。以下、その翻訳です。

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どこにいても

日本の林業と建設会社に触れた2日間で全体像を知る
ジョン・トテンホファー

日本を訪れたことがあるならば誰でも社寺や住宅建築に用いられる木材加工技術を知ることができるであろう。

先日の日本への旅行の際、私達夫婦と同僚は幸運にも北アルプスに位置する加子母にある建設会社中島工務店に招かれた。加子母はヒノキとスギに囲まれた美しい流域にある。

中島工務店は、付加価値に対する考えを新しい水準に押し上げている。温かい蕎麦を昼食に頂いた後、中島社長は私達を森に案内してくれた。ここでは80年から120年の周期で森林施業をしている。名前が書かれた木杭が添えられている若木を見付けた。建て主が自分達の住宅を建てるために使われた木々のお返しにこれらの若木を植えたのである。

麓では木材が用途に合わせて加工されている。直径200ミリから400ミリの丸太から作る構造用木材の木口には芯がある。割れを防止するための背割りが木の芯に向って加工される。天然乾燥や人口乾燥の後、変形を防ぐために背割りに楔が打たれる。

日本建築で用いられる継手は仏教と共に朝鮮半島から伝わった。加工し易く耐久性のある木材が豊富にあること、鉄が不足していること、そして地震が頻発することが複雑な継手の発展へとつながった。人は継手の加工技術を一生かけて習得する。高級なヒノキは社寺建築のために取っておかれ、荒仕上げのまま納品され、手刻みや機械加工で複雑な形状に加工される。修復工事では、大工は既存の材に残された墨を探す。この墨は後世の大工への参考として残されたのである。

競争が激しい住宅産業では、構造材の手刻みは現実的ではないことは明白だ。だから400m2の工場では、複雑な継手はまずは機械で加工し、そして熟練工が仕上げる。家具職人と見紛うほどにその仕事は複雑で正確である。

この集落は東京と京都の中間に位置し、ほとんどの工事現場へは4時間程度で木材を配達できる。現場では、大きな木製の掛け矢で打って構造を組み、込み栓や専用金物を使って建物を固定して行く。

機械加工で出た廃材は、接着剤のプレス機がある工場2カ所で暖をとるために燃やされる。雪が降るこの地域では温度を保つことは接着剤の乾燥にとって重要である。木材をできるだけ活用するために、短い材はフィンガージョイントされ、ラミネートされ、階段の段板、ベンチの座面、パネル、梁桁、商業建築に用いる大きな湾曲梁などに使われる。

この時すでに外は暗くなり、造作工場を見学することができなかった。それはまた明日。気前の良い中島社長は工場案内では終わらなかった。社員が合流し、素晴らしい夕食を頂き、その後温泉にも連れて行ってもらった。その晩は築200年の社有ゲストハウスに泊まった。

次の日の朝は霧のかかる早朝の集落に流れる優しい音楽で始まった。起床して一日の準備をする時間だと知らせる放送である。4センチもあるトーストとお茶を頂いた後、造作工場へ行き職人達の仕事を見学した。ここでは階段材、引戸の部材などの造作材が加工されている。木材を0.1ミリの薄さで鉋掛けする機械に目が行った。対のローラーが木材を送り、鋭い刃物が木材の表面を木綿のように滑らかに仕上げる。"赤ちゃん肌"と呼ばれるほど滑らかに。

日本の手道具が機械と併せて使われているのは素晴らしい。ずっとここで働いているという職人が、「毎日使っている」という鑿(のみ)を誇らしげに見せてくれた。

目の利く造園家である妻のジェダは、数ある農場の内の一つに目をやった。この農場主は古びた小屋の中にただ機材を保管しているのではなかった。一つの小屋では単純な機械を使ってヒノキの端材から箸を作っていた。同僚のポールが、甘い香りの鉋屑(かんなくず)はこのあとどうなるのかと尋ねたが、少し考えれば牛舎で使われると想像がついた。

果樹園を臨む、日当たりの良い作業場では、父親と息子が神社の内装に用いる彫刻が施された欄間の作業をしていた。私はヒノキを鉋掛けすることができてご満悦だった。幸運にも、長い鉋屑を削ることができ皆笑顔になった。

午後は急な斜面の峡谷を上った。高樹齢のヒノキが神社用に保護されている森へ車で向かう道中、清流が流れ木々が生い茂る峡谷の紅葉を楽しんだ。友人の石川さんは中島工務店で家を建てたが、会社の理念のおかげでこの地域は日本でも独特であると説明してくれた。

社員は高い評価と尊重を持って扱われているばかりでなく、思いやりの考え方が森林資源の管理に生きていると感じた。木材を販売するだけでなく、家づくり全体を販売しているのである。住民が都市部へ移住してしまう集落とは違い、加子母の人口が増えているのはこのおかげなのかもしれない。

(本社 中島 大地)

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